気候変動教育

【開催報告】ESD for 2030学び合いプロジェクト 気候変動教育連続勉強会第8回「社会変容と気候コミュニケーション」

気候変動連続勉強会では、2050年脱炭素社会の実現に向けて各分野で必要とされる人材像を共有し、その育成・輩出に向けた体系の確立や推進戦略の構築に向けて、国内外の「気候変動教育」に関する動向や事例を学びます。この度、第8回を開催しました。(諸事情により、第7回より先に第8回を開催しています)

※ この勉強会は、環境省・文部科学省が中心となって進めている「ESD(持続可能な開発のための教育)推進ネットワーク」による「ESD for 2030 学び合いプロジェクト」https://esdcenter.jp/2022/07/2030manabiai/  の一環として実施します。

開催概要

[日  時] 令和4年10月27日(木)14:00~15:15
[開催形態] オンライン会議システム「zoom」を使用
[参 加 者] 62名
[主  催] 北海道地方ESD活動支援センター(環境省北海道環境パートナーシップオフィス)

内容

気候変動対策を進めるにあたり、教育や普及啓発の重要性は1992年時点で気候変動枠組条約にも明示されています。我が国でも「チームマイナス6%」にはじまる国民運動等、人々の行動変容を促すさまざまな広報活動が行われてきました。一方で、日本では世界各国に比べて気候変動対策への受容度が低いことも知られており、今後求められる構造変容に向けて、より効果的に社会に働きかける戦略を必要としています。今回は、そうした活動を展開する国立環境研究所社会対話・協働推進オフィスから江守正多さんをお迎えし、気候コミュニケーションについてお話をうかがいました。

[講師] 江守 正多 さん(東京大学未来ビジョン研究センター教授/国立環境研究所地球システム領域上級主席研究員)

 1970年神奈川県生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。1997年より国立環境研究所に勤務。地球環境研究センター温暖化リスク評価研究室長等を経て、2021年より地球システム領域副領域長。連携推進部社会対話・協働推進室長を兼務。2021年より東京大学総合文化研究科広域科学専攻客員教授。2022年より地球システム領域上級主席研究員、東京大学未来ビジョン研究センター教授(クロスアポイントメント)。専門は気候科学。気候変動に関する政府間パネル第5次、第6次評価報告書主執筆者。

講演資料はこちら
https://epohok.jp/wp-content/uploads/2022/10/emori221027_kyoiku.pdf(PDF:3.2MB)

動画はこちら(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=9N_eo27iHcw

 質疑応答

Q 不安をあおる普及啓発からのアップデートが必要になっています。世界市民会議のアンケートによると日本だけ脱炭素の実現は「自分たちの生活の質を上げるとは思わない」という回答が多いなど極端な結果ですが、これをどのように考えますか?
A 日本人は脱炭素など環境に関わることを「我慢」だと考えているイメージがあります。ほかの国の詳しい情報はないのでわかりませんが、日本以外の国では温暖化を止めることが、気象災害などの被害を減らせることを含めて生活にプラスになると答えていた可能性はあります。
日本人は真面目でガマンが美徳、ということもあるかもしれません。所得が上がらないことや、低成長等へのコンプレックスがあり、そもそも日々の生活が大変で世界の問題に目を向ける余裕がないということ。環境として島国で世界を見ようとしない、等々いろいろ考えられることはありますが、正確なところはわかりません。

Q 「3.5%」はどんな人たちでしょうか?
A 気候変動が人生のテーマになってしまったような人たちだと思います。自分の命・大切な人の命の危機を感じたらそう思えるかもしれません。パキスタンの洪水のニュースを見て、なんとかしなければという倫理的な感情、自分の人生の中で環境問題に貢献したいと思う人、そういうひとも世の中には少しはいます。災害の被害者も含まれるでしょう。ただ刺さらない人もいるし、自分自身もほかの社会問題にそこまで熱心なわけはないので、気候変動に熱心ではない人がいるのは当然です。ただ、応援してほしいと思います。

Q 地方で多くの人々と話して感じたのは、転換によって向上すると言われていても、日々の生活において多少の不満はあるけれど、そこまで困っていないので普段の生活を変えてまで、社会の変化を望んでいないということではないでしょうか?
A そういうひとは気がついたらCO2が出なくなっていたという変わり方でもいいのではと思います。建築物の基準が強化されたが多くの人は知りませんが、家を建てる人はある程度の省エネ住宅を建てることになります。環境に配慮した行いが、たばこの分煙と同じで知らないうちにあたらしい常識になっているということです。変化に合わせて、自分は変化を望まなくても社会が変わっていく、という状況がおきうると思います。

Q 地方で、インバウンドのために補助金でウォシュレットをつけては、ということに対して、自分の代で宿をやめるので投資したくない、という話を聞きました。社会の変化の中で、政治家などはある程度変革に前向きになってもらいたいですし、地域のキープレーヤにも前向きになってもらいたいです。しかし、その中での科学者の役割は何だろうかと思います。知見を伝える意味合いは何なのか、伝わりやすさのためにどこまで正確さを犠牲にできるか、常に悩ましいです。科学者の役割とは何だと思いますか?
A IPCC等をひもとくことだと思います。標準的なことがわかってもらえれば良いですし、素朴に考えている人にはそれで聞いていただけると思います。ボリュームとしてはそれでよく、つっこんだ知見は普段のコミュニケーションでは使わないでしょう。ただ懐疑論をはじめ、そうではないという反論に同調してしまう人は常に一定割合いて、どう対話するかは難しい問題になってきます。量的に小さければ多様な考え方として受け止めればよいでしょう。

Q 欧米の環境活動家の過激な行動は人々の関心のきっかけとなりうるでしょうか?
A 戦略として様々な評価があると思います。アメリカの公民権運動、植民地の独立、女性の人権・参政権のように、歴史の中での人権改革のムーブメントが社会を動かしてきた面は確かにあり、それと類似の運動だと見ることもできます。とはいえ、気候変動がそれほど大変な問題と感じてない人も世の中に多いので、奇異に見えているかもしれません。

Q 気候変動に立ち向かう取り組みに、対策と適応の2択があるように聞きます。両方必須ですが、「適応すればいい」という意識になっていると、対策は後手になりませんか。また市民目線では対策と適応の違いがわからず、どんな行動をすれば良いかモヤモヤしそうです。
A 二択ではなく両方必須で、それが広がっていけばよいと思います。適応センターの研究者から見ると、逆に人々の関心が緩和だけで適応に目が向いてないことに危機感があるようです。適応すれば緩和対策不要とまで割り切っている人はそれほどいないと思います。ビジネスでは脱炭素は必須となってきています。

Q システム変化を起こすために、学校教育(例えば,「理科」や「総合的な学習の時間」の学習)が果たす役割や学校教育への期待についてご意見はありますでしょうか?
A 学校でSDGsを子供が教わり、SDGsを知らない親が家庭で子供に怒られる、ということもあるほど子供のSDGsに対する認知度は上がってきています。まず、先生がどれだけ理解しているのかという問題があります。総合的な学習の時間(以下、総合学習)のことはあまり詳しくありませんが、気候変動に関しては、「地球が大変だから明日から電気を節約しましょう」で終わっているかもしれません。しかし小学校であってもシステムに目を向けてほしいと思います。国士舘大学の森朋子先生がシビックアクション教育の研究をしていて、学校の環境教育等で、社会を変えられる実感や成功体験に目を向ける教育が大事、という議論・実験をされています。校則などに対して意見を言って変えることは日本ではほとんどできませんが、先生が機会をつくればそうした体験が可能になります。総合学習で生徒たちに身の回りの課題を見つけさせて、それを変えるにはどうしたらよいか調べさせる。なぜ変えられないかがわかり、そこから誰に何を言えばよいのか考えさせる。そうした経験を小中学校から教育として実践し、環境問題のつながり、複雑性を理解した上で、なんらかのアプローチをすることで変えることができる、という経験が大事な教育ではないでしょうか。