ネットワーク形成

「シンポジウム オホーツクの自然を活かした地域づくり」開催報告

 去る3月27日に、紋別市内で、「シンポジウム オホーツクの自然を活かした地域づくり」を開催しました。当日の様子についてお伝えします。
※主催:紋別市 EPO北海道

オホーツク管内に位置する紋別市は、冬期にはアムール川から流氷が来るオホーツク海、渡り鳥などが集まり、美しいサンゴ草が茂るコムケ湖、サケが遡上する藻別川など雄大な自然を有しています。これらの自然資源は、漁業や農業などの一次産業、観光業にとっても重要な役割を果たしています。この自然を活かした地域活性化のあり方について参加者の方々と考えました。

【基調講演】地域が誇れる魅力あるまちづくりのために

 講師:笹川 孝一氏 (法政大学キャリアデザイン学部教授)

はじめに:紋別の氷と水のストーリー

市の観光協会のwebサイトや紋別市史を見ると、優れたパーツはあるが総体としてのイメージがない。
紋別は日帰り観光が多い。周りに温泉地が多いことも一因としてあるが、「紋別ブランド」がはっきりしないのも理由の一つ。
そこで、紋別の、氷とと水のストーリーをこれから作ったらどうだろうと考えた。

 

地域づくりについて

地域づくりというが、生活空間がつまり地域であると思う。生命体が生まれ、次の世代にバトンタッチさせていくところ。地域に必要なのは社会参加、社会システム、水、栄養素、生命の多様性。どれが欠けてもいけない。
地域にはまた、働く場、遊ぶ場、祈る場、学ぶ場、が必要である。紋別にもお祭りはあるようなのだが、観光向けのお祭りだとしても土地の人が楽しんでいるかどうか。
その辺りに意味付けを行い、ストーリー、伝説を作っていく。それは、市の基本計画、総合計画に係る性質のことだが、よりソフトな感じで、紋別の人たち一人一人が「そうだよねぇ」と思えるようなストーリーが、必要なのではないか。
また、ほかの地域との交流も必要。今日も3つの地域から報告をいただくが、地域としては、自分たちの立ち位置を確かめることは重要。どこが共通でどこが違うかは知ってもよい。
産業として発達するのはどういうことなのかを考えると、ベースは自給自足、地産地消。しかし完全な自給自足はできないので、お金も必要になる。金が稼げるような産業にするには、交易するための産業という組み立ても必要。
そうすると、よそにないものがここにある(ガリンコ号など)、ほかの地域よりも質が高い(ホタテ、ミルク)、質が同じなら価格が安い、という「よそにはないもの」の提示が必要となる。
レシピの開発も必要。そのようないわゆる6次産業が、既になされているとは思うが、重要になる。
人が来るけど日帰りという問題については、どうやって泊まらせるか、地元が負担しないとならない分を来訪者に負担させるかの仕組みづくりが各地で行われている。
また、こういう問題を考える際には、セットメニューでブランド化することが重要となっている。
・泊まってもらう:総合的にパーツを使い組み合わせる
・食べてもらう:地元食材を活かした新しいレシピ。ここでしか食べられない、というようにしていく。今は中国人、香港人、台湾人がきており、外国人をターゲットにした取り組みは始まっているが、道東地域での連携も視野に入れながら取り組みを行う。
・体験:カヌー、かまぼこ作り等々があるが、金山坑道探検ツアーなど旅行会社と組みながら、地域にとっては当たり前のことでも商品化していく。
いらないもの、邪魔なものを逆手に取ることも重要になる。

まとめ

自然条件が豊かで、歴史の積み重ねがある中で、新しいものを起こす。今までのものを受け継ぎながら、今までここではやっていないことでも、よそでやっていることをジョイントさせ、新しいものを生み出す。
「どんな紋別にしたいのか」はいろいろな意見があってもいい。でも自分がどうしたいのかをはっきりさせ、持っている資源、知識、技(プラスの点)をリストアップし、マイナスを逆手に取る。
また、利害対立はあるものだが、それを前提としながら、どうしたら調整できるか、折り合いを付けていく。利害対立があると聞く耳を持たないところもあるが、それをふまえて折り合いを付けていくのが知恵の出しどころとなる。

別海の報告も宮島沼の報告もこれからあるだろう。豊岡は環境経済戦略を打ち出している。そういう風にして、自然資源を使いながら守っている。生態系を維持しながら使っていく。そのまま保全していくという考え方もあるが、ずっと使えるようにしていくのも知恵の出しどころ。
技と知識は大切なものだが、、そこに知恵というのが一番大事で、ちゃんと知恵を出していかないといけない。

地域にすばらしいものがある、流氷がある、カニも捕れる、ミルクもある、山もすばらしい。そのようなものには誇りが持てるけれども、「それをやっている自分自身に誇りを持つ」ことが、誇りが持てる町づくりには欠かせない要素。
自分たちのやっていることを脇に置いてすばらしいものを数え上げるのではなく、それをコントロールし、生活に活かし、分かち合ってこそ、結果的にお金が集まってくる。そういうことができる自分自身に誇りを持つ。
流氷ストーリーというのは皆さん自身の生き方の伝説なのではないかと思う。

【パネルディスカッション】オホーツクの産業、歴史、文化。すべては雄大な自然があればこそ。この自然を活かした地域づくりについて考えます。

ファシリテーター:笹川 孝一氏 (法政大学キャリアデザイン学部教授)
パネラー:村井 毅氏(紋別市産業部長)
安部 政博氏(酪農家、別海町議会議員)
宮垣 均氏(兵庫県豊岡市コウノトリ共生部)
牛山 克己氏(宮島沼水鳥・湿地センター(美唄市))

 

兵庫県豊岡市:宮垣さんからの報告

紋別に来ることになったとき思いついたのは流氷。流氷もアムール川から来るということだが、コウノトリもアムール川流域からくるので親近感を持っている。
コウノトリは、里山に営巣する身近な鳥でいたる所にいたが、明治期以降、鉄砲で撃たれ数を減らし。戦後には、豊岡と福井の一部にしかいないような状態になっていた。そして毒性の強い農薬が原因で、野生絶滅に至る。
1965年から人工飼育が豊岡で始まる。人工飼育開始から25年後、待望のひなが生まれ、順調に保護増殖が進んでいる。2005年9月、飼育したコウノトリの放鳥が始まり、いまは75羽のコウノトリが自然の中で暮らしている。豊岡はコウノトリがいる風景が戻ってきた。
コウノトリ野生復帰とは、コウノトリが住むことができる自然環境に戻すということであり、人とコウノトリの関係を再生するということになる。

取り組みとしては、一度分断された水路と水田のつながりを再生する魚道やふゆみずたんぼなど。
また、マルチトープ(迂回水路型ビオトープ)にも取り組んだ。
豊岡の中心を流れる円山川でも様々な試みがあり、川岸の掘削や、大規模湿地の再生などを行い、多くの湖が再生されている。
休耕田を利用し、小学校区単位でビオトープによる地域の自然の体験活動が行われいている。また環境教育は市自身も行っている。環境学習のフィールドとしてはじめは水田を使っていたが、そこから地域の山、川にまで環境学習のフィールドが広がっている。
ほかにもいろいろしてきたのだが、コウノトリ野生復帰を進めていく上で、お米を作りながら生き物を育むことを、農家やNPO、JAと連携し体系化し、生き物とおいしいお米を同時に育む農法を作り上げた。農家の人々とは技術指導会や講習会を開き、生き物へのまなざしも含め、勉強している。
コウノトリを育む農法自体、経済的な側面が必要になってくる。そこで、コウノトリを使ったブランド化にも取り組んでいる。参加農家は増えているが、市内の水田面積全体からするとおおよそ10%程度にとどまっている。

農業の再生、人との関係等と考えていく中で豊岡はラムサール条約と出会った。2012年に登録湿地になった。登録サイトとの面積は560ha、円山川を中心として水田、人口湿地、様々な湿地のタイプが存在する自然再生をキーワードとした再生と創造の湿地で、人がずっと関わっていくことを中心としている。
ラムサール条約という国際的な評価は地域の人たちのモチベーションなっている。
様々なボランティア、大学生研究者や旅行会社と提携したボランティアツアーなど、一緒になって行い、約5年経って、様子がだいぶ変わった。人の手を入れることで、湿地が回復してきている。
今まで市内の様々な地域と取り組みを行っていた。例えば田結地区では、小さな集落なのだが、村のあり方、地域をどうしていくかについて考えていくことが、コウノトリをきっかけに始まった。コウノトリの生息地という空間が村の共有資源となり、共同作業を行う、意識を共有する場所になっていたということ。
研究者がが研究、実習フィールドにし、田んぼはえさ場として、企業はCSRの社員教育、活動のフィールド、行政にとっては環境教育のフィールド、といったように、それぞれの立場で自然との結びつき、恩恵を受けて、多元的な価値を作っていこうとしてる。村の女性たちは地域のよさを伝えるために、自分たちでガイドを始めている。

コウノトリ自身は40年近くいなかった鳥。それが帰ってくることができたのは、そこに住んでいる人たちの経験と知恵。とはいえ、いったん途切れてしまったともにいる暮らしや、途切れてしまった技や知恵を復活させるのはまだまだ。
紋別も同じではないかと思う。ここにコウノトリが舞い降りてきたら、暖かく迎えてほしい。

別海町:安部さんからの報告

風蓮湖はかつて砂利といわれるくらいヤマトシジミがいたところだったが、上流から流れてくる農家の排水などが影響し数が減り、平成12年に禁漁になった。
それではいけないということで、平成16年4月に、近くの会館の91名が集まり、連絡協議会が発足、2年ほどかけて協議をし、平成17年に初めての植林を行った。
風連川を挟んで、浜中町、根室市、別海町の農協で取り組んでいる。下草刈りは大変な仕事なので、2年目からは役場が資金を出し、雇用にもつながっている。
風蓮湖をみんなの目で確かめようと、毎年、状況調査を行っている。最初は有機物の堆積やにおいがあったが、透明度を増してきている。シジミの復活はまだだが、相乗効果でニシンが捕れたりしている。
植林をして大敵はシカ。シカを入らないようにソーラーで電気をまわした。助成金を受けて取り組んでいるが、4年間たった木は十分成長している。

今、活動の中に入れているのは「子供たちに次世代の環境を伝えていくか」ということ。ドングリ教室というのを7年間続けている。植林にも子供たちが入れるよう配慮ている。
別海町では条例ができた(「別海町河川環境の保全及び河川の健全利用に関する条例」)。これから農業と漁業の共存共栄の仕組みづくりを頑張っていくところ。

 美唄市:牛山さんからの報告

宮島沼は札幌から60キロ、美唄市にある小さな沼。周りは農地で、北海道での有数の米の産地となっている。4月の半ばには白鳥でいっぱいになり、4月の下旬にはマガンが沼を埋め尽くす。水鳥にとって宮島沼は大事な場所で、ラムサール条約登録湿地となっている。
どうしてこんな小さな沼に鳥が集結するのは2つの環境がそろっているから。
・沼があること
・周辺に広がっている田んぼ
マガンも白鳥も落ち籾を拾う。休む場所、えさ場がセットになっているので宮島沼に来る。つまり、沼はラムサール条約に登録されたが、マガンや白鳥を支えているのは周辺の農地。特にマガンは宮島沼を飛び立って紋別の上を通過し、カムチャツカに向かう。長距離の渡りに備えるエネルギーを周辺の農地で得ている。別の言い方をすると、地域農業が国際的に重要な自然を支えている。

地域農業には困った問題もある。
春先になるとマガンが小麦畑に行き、バリカンで刈ったごとく食害を起こす。農家さんもたくさんの防除器具を設置しているがあまり有効ではなく、それに変わる方法をずっと研究しているのだが、最近、秘策が生まれつつある。
田んぼにくず麦をまくと食害が起こる時期に麦が生えてくる。そこを食べてもらう。そのようにくず麦を散布した田んぼが代替餌場になり、食べ残した麦は、この後の田んぼにすき込むことで緑肥になる。さらにマガンのふんも肥料となる。
このように、農業に対してもメリットになるような方策を考え、持続的に面積を増やしていこうとしているところ。
農業とマガンの対立から、共存共栄に向けて動いている。

ふゆみずたんぼに取り組んでいる。
市民の方に取り組みに参加してもらい、自分たちの取り組みの誇りを持ってもらう。オーナー制度で農家の人たちもつながりが大切だという意識が生まれる。地域農業全体を巻き込んだ活動として、農家のランチ付き季節のウォークを始めた。
こうした取り組みは、農家と水鳥センターだけで進めているのではなく、農家の団体であるプロジェクトチームを作って、自然環境の調査をしている市民団体、子供、老人、奥様のグループ、専門家、で宮島のストーリーを共有し、活動してる。

パネルディスカッション

村井:笹川先生のお話にありました中で、一番心に残ったのは対立をいかに調整しており合っていくか、そこには知恵が必要ではないかということが1つ。もう一つは、これにより、こうした対立を知恵を出し合い乗り越えた先に意思の共有があり、活動を誇りを持ってされたのかなと思う。
お三方の話もそのようなところがポイントかと思う。
この中で、宮垣さんのコウノトリの育む農法、これは低コストで有機農法というメリットが生産者にも理解されたのかと思う。
牛山さんのお話でも、マガンのくず麦散布が田んぼの栄養になるという生産者に対するメリットがやはり受け入れられるポイントかと思う。
安部さんの話では、紋別の産業、酪農もそうだが、漁業、森林こうしたものを含めて、紋別の環境に条件ににた話もあり参考になった。紋別でも植樹祭は定着しているが、そうした中で、やったところがシカの被害が目立っていて、その辺りが参考に対策を含めてい今後に活かしていきたい。

■対立の折り合いを付けていくということについて。
牛山:対立をどうしたといえる立場ではないが、対立とはいっても、現場に入っていろんな人の話を聞くと対立じゃない部分も多い。一つ一つ誤解を解けばいい。
一方で、食害だと、農政部でも話を聞いてくれない農協もだめでフラストレーションがたまる。そのようなもことひとつずつ聞いていく。そこから本当も問題が何なのかを探り、価値のないところに価値を生み出していきたいと思う。

■別海町の場合、シジミ禁漁になっても酪農家には関係ないということになるかと思うが?
安部:畜産が509億円、漁業が96億円、この町を活性化するためには力を合わせて一次産業を盛り上げようということはどこからともなく出ていた。
酪農家の仲間からはどうしてこんなことをしないといけないかという意見も出たが、そんなひとが先頭に立って植樹をしてくれている。人と人が仲良くなって経済行為が伴い、浜と山が仲良くなることが大切と感じている。また、子供時代から問題意識を持っていれば調整していけるということもあると思う。

■豊岡市の環境経済戦略、順調にいっているように見えるが?
宮垣:対立という点について言うと、コウノトリは稲を食い荒らす害鳥だったので、農家との対立はあった。コウノトリは記憶の中の鳥で、実際にはそうでもないのだが、害鳥というイメージはある
コウノトリの餌場についてどうするかということでは、省コストの有機農業を作っていくことを考えた。まずは高く買ってくれることそして、冬期湛水田には、国からも市からもお金が出る。また、農家に話を聞くと、直販しなくても勝手に買いにくる。行政、新聞社が勝手にPRしてくれる、という意見が聞かれた。
そして、絶滅から復活、農家との関わりを周りがほめてくれるようになったことで、それが自分対自身の誇りになり、自分たちの言葉でコウノトリを語れるようになってきた。そうなるとストーリーを共有することができてくる。コウノトリをいつの間にか迎え入れる状況になってくる。

■次代に向けて
村井:次世代に残していくためには、イベントへの子供の参加。流氷に関していえば、流氷遠足など。また、毎年開いている国際子供シンポジウムもある。小学校高学年ぐらいからの参加を続けている。子供の数が減っており、周辺の町村からも参加を呼びかけている。平日なので、学校にも要請しながら活動を続けている。
コムケの会などの若い方、高校生なども入ったりして活動していると聞いている。

会場との質疑応答

会場から:地域に誇りを持つ、地域に住んでいる自分たちの生き方に誇りを持つという話があった。どうしたら地域の人たちが誇りに思ってくれるのだろう。誇りに思ってない人が多いと思っているならどのように働きかけているのか。
笹川:葛飾柴又に生まれ育った。寅さんのロケをしていたりしたが、昔からそうなので、それが当たり前だと思っていた。最近葛飾区の教育委員会と住民で葛飾共同カルタを作ったのだが、カルタを通じて、葛飾区のひどく狭い部分しか知らないことを改めて認識した。表現しようとすると発見がある。作っただけじゃなくて使うことも大事
会場から:私は紋別はいいところはたくさんあるし、ほかにないいいところもたくさんある。
私たちは、自然を大切にしていこうとしているが、一つ疑問に思うのは、紋別の子供たちに紋別の原風景があるのか、それが疑問に思っている。それが今の子供たちにないとすれば、それが作ってやるのが私たちの仕事ではないかと感じている。

会場から:年間に2000頭のシカをどういう方法で駆除しているのか。
安部:ほとんどがハンターによる銃。囲い罠は300ぐらい。一頭1万円で買い取りされる。ハンターは72人登録。高齢化が問題。北海道も条例ができてハンターの要請をしているそうだ。

会場から:若者との交流はどのようにしているのか
牛山:酪農学園大や北大が近くにあるので若い人、20代の学生さんとは付き合いがある。熱心な学生が多い。地域の若者は、10代中心にマガレンジャーというグループがあり、自分たちで年間計画を立ててやっている。最初の世代の子が大学生になっているところ。そういった子供たちは地域を誇りに思っている。宮島沼やマガンが大好きという訳ではないが、地域に誇りを持っている。そういう子どもたちをみて、地域の魅力に気づいてくれる外の人もいる。

会場から:対立から共生へというのがそれぞれの地域の中での取り組みとしてある。対決から共生と、すぐにはいかないかと思うが、地域の持っている価値を共有していくというステージはどのように作っていくのか。従来は市役所や環境省、国交省等の仕事かと思うが、民間、酪農、漁業者、市民。誰かの役割とかではなくて、というステージの作り方が必要だと思うが。
笹川:地域の事情による。地域によって中心に誰がいて周辺に誰がいるかというの変わってくる。どうのように共有しながら、誤解を解いたりフラストレーションを解消することなどができていくのか、というところ。

最後に一言

牛山:対立といっても対立じゃなくて対話が足りないだけ。話し合って、夢を語って、不満を語っていく。そこを間違うと尾を引く場合がある。仲間は多く、楽しい話を始めてくれたらと思う。

安部:対話が基本。でも、森と川と海は一つというキャッチフレーズでやっているが、森、川、海 の順番に立場が悪い。山が先頭にやって、町の、海の人たちの合意が得られればと思う。

宮垣:自分は40代前半で、小学校低学年から高校生と一緒に生物多様性地域戦略を作ったりした。コウノトリは40年いなかった鳥で、会場からのご意見にあった「子供の現風景」という話だと、今の子供たちはコウノトリいる世界が原風景。自分が子供の頃は文字通り籠の中の鳥だった。そういった子供たちがどうなっていくかは楽しみなところ。コムケ湖もいままでやってきたことがあるだろうし、成果はあるのだろう。やり続けるのが重要ではないかと思う。

村井:今日のお話は、対立といってもその多くが誤解なりフラストレーションなり、というのは対話が足りないということかと思う。今後対話の場をいかに作るかが行政が担っていくところなのかと思う。自然保護なり市の方でも参考にさせていただきたい。

笹川:対話を重ね、紋別のよさを共有し、持っていた原風景を伝え、新しい原風景を若者や子供ができるだけよいものを持っていけるようになっていけると思う。